Page 901 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼沖縄をつむぐ ピグモン 06/2/8(水) 19:02 ┗Re(1):沖縄をつむぐ ○ハラ 06/2/9(木) 1:39 ┗Re(2):沖縄をつむぐ ヤッシーおじ 06/2/9(木) 12:57 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 沖縄をつむぐ ■名前 : ピグモン ■日付 : 06/2/8(水) 19:02 -------------------------------------------------------------------------
| 本日の朝日新聞夕刊、東海版一面に りみさんの話題がカラー写真入りで掲載されています。 「沖縄をつむぐ3.恨み、悲しみ歌い継ぐ」 「涙そうそう」の経緯や八重山民謡の心などが載っています。 <Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.1.4322)@ZK033202.ppp.dion.ne.jp> |
| 1609年から1903年まで実施されていた人頭税、地割制度により、八重山の人達は随分苦しめられていたようで、その管理は厳しかったようです。 りみさんが歌った「新安里屋ユンタ」の元歌の、「安里屋ユンタ」に出てくる目差はこの地割制度を厳しく監視するために、首里から来て駐在したようで、厳しくこれを守らせるためには、随分横柄な態度で、指図も横暴であったと想像されます。 この目差は首里から来たわけですが、その首里、沖縄本島はと言うと、ここは尚氏の支配下で、その尚氏は島津氏、江戸幕府と清国に服従を強いられたのですから、上には上が居たわけです。 1853年に日本へ来たペリー提督は日本が鎖国を続けるつもりなら、一案としては琉球占領を考えていたようで、小国琉球はある意味で、風前の灯火とも言えたと思います。 しかし、日本は開国し、琉球は、アメリカには占領される事無く、琉球藩として明治まで残り、その後、尚泰王は1879年、東京へ移り、華族として、侯爵に列せられました。 歴史に「イフ」を言ってもしょうが無いのですが、琉球がアメリカに占領されていれば、八重山の人々の暮らしも、もしかしたら少しは良くなっていたかも知れないと思うと、太平洋戦争中や、末期の八重山の人々の悲劇を考えれば、歴史の皮肉を感じます。 <Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.0.3705; .NE...@p2250-ipbf16niho.hiroshima.ocn.ne.jp> |
| 出張中なのでまだみてませんが、東京版でも掲載されていますので、いつか登場すると思っていましたが、さっそくでしね。沖縄のことは石垣島のマラリア禍のようにまだ知られていないことも多いですよね。 <J-PHONE/4.3/V603SH/SNJSHM1077383 SH/0007aa Profile/MIDP-1.0 Configuration/CLDC...@wtl7sgtn01.jp-t.ne.jp> |